潜在意識(瞑想法)によって宝くじを当てる方法がなぜできないのか?
近年、ナポレオン・ヒルの方法とか、シルバ・メソッドなど、潜在意識を活用して、自己実現を図る方法がブームになっています。
その方法の多くは、マーフィーの法則のように、自分がその実現した姿をありありとイメージするというものです。
そしてこの自己実現の方法の目的として多くの人が考えるのは、金持ちになることであると思われます。
潜在意識(瞑想法)を使うこのような方法は、最終的には超能力的方法になりますが、そうであれば、例えば宝くじを当てるというようなことも可能であると考えられます。
しかし、このような方法で宝くじを当てたという話はほとんど聞かれません。
それは何故でしょう?
もし巷で言われるように、このような潜在意識(瞑想法)を使えば、宝くじを当てることも簡単なように思われるます。
そういう話を聞かないのは、やっぱりマーフィーの法則などは嘘だったのでしょうか?
私の考えによれば、このような潜在意識や瞑想法というのは、根本的には宗教的方法に端を発しています。
そうすると、どうしてもある種の宗教的な方法論「昔からこういう方法が伝わっている、だからお前もこの方法を守れ!」というような教えられ方になりがちなのです。
そしてこれらの方法論になると、「なぜ?」という疑問には答えてはくれません。
一切の質問・疑問が許されない伝統的な方法を、頑に守るという態度になりがちです。
そういう伝統を守るやり方では、実際の指導者も疑問の答えを持っていないことがほとんどです。
こういうのが、潜在意識(瞑想法)活用法指導者に共通する欠点でした。
そこで私は、本当に潜在意識(瞑想法)を使えば、宝くじを当てることが出来るのかを検証してみることにしました。
さて、実際問題として「潜在意識(瞑想法)を使って宝くじを当てること」に興味を持つような人間には、共通点があります。
それは、
1・現在お金持ちではなく、金持ちになりたいと願っている人間
2・しかし、金持ちに成りたいと願っていても、そのためにあくせく働きたくはないと思うタイプである
ということです。
つまり、今これを読んでいるあなたも、こういうタイプであるということですね。
もし、一見無関係に思える、1と2には共通の問題点があるといったら、あなたは信じますか?
じつは「金持ちに成りたいと願っていても、そのためにあくせく働きたくはない」からこそ、「宝くじに当たる方法」などに興味をもってしまう!
そうは思いませんか?
ところが実際に世の中でお金持ちになった人を観察すると、金持ちになりたいと思ったら、そのために無茶苦茶に努力をするタイプであることがよくあるのです。
ライブドアのホリエンは記憶に新しいですよね。
そういうタイプ(無茶苦茶に努力をするタイプ)でないために、いつまでたってもお金が溜まらない人がいます。
そういう人に限って、「宝くじに当たる方法」という楽を出来ることを夢見ることが多いのが現実なのです。
貧乏人に、「宝くじに当たる方法」などに興味をもってしまう人が多いのは、偶然なのでしょうか?
それともこういう心の姿勢が、いつまでたっても金運のない人間になっているのでしょうか?
それはともかく、「潜在意識(瞑想法)を使って宝くじを当てること」を考えてみます。
「金持ちになること」の方法論として、「潜在意識(瞑想法)を使って宝くじを当てること」があるのですが、その正反対のやり方もあります。
それは「瞑想などいっさいせずに現実的行動のみでお金を掴むこと」があります。
例えば、「屋台のラーメン屋を始める」というようなことが考えられます。
これをすることを考えると「まず開業資金として銀行から300万円借りてラーメン屋台改造トラックを購入して、ラーメン屋で修行する」ことをしなければなりません。
そして修行が終わって「ラーメン屋台改造トラックで公園などでラーメンを売る」ことになります。
これは言葉にすれば簡単ですが、実際には本当にこまごまとした作業の積み重ねです。
たとえば銀行でお金を借りるためには、資金返済の計画書を作ったり保証人を集めたりしなければなりません。その上で銀行の担当者と交渉をしなければならないのです。
「ラーメン屋で修行する」といっても、最初は皿洗いからのスタートになるのです。
本当においしいラーメンを自分が作れるようになるのかは、保証がありません。
実際には不安がいっぱいの毎日になるでしょう。
そうしてやっと、修行が終わって「ラーメン屋台改造トラックで公園などでラーメンを売る」といっても、適当な場所がなかなか見つかるものではありません。
やくざがやって来て金品を請求することもあるだろうし、同業先輩の嫌がらせもあります
。
そういう苦労を乗り越えても、肝心のお客さんがラーメンを食べに来てくれる保証はないのです
。
そしてラーメンの仕込みを考えたら、この仕事は午前中から、深夜までの労働になることに気がつきます。
借金返済があるから、病気もできません。
こういうことを考えただけで、ラーメン屋をやろうという思いは萎えてしまいますね。
これが一般の、「金運のない人間」の考えることです。
リスクを考えると、最初の一歩がなかなか踏み出せないのです。
そこでこういうリスクがまったくない方法を探すと、「潜在意識(瞑想法)を使って宝くじを当てること」になると考えられます。
しかしよく考えると、「宝くじを当てる」にも宝くじを買わなくては当たらないことに気がつきます。
つまりこの方法でも、宝くじを買うという現実的行動が必要なことに気づきます。
そこでもっと究極的方法はないかと考えてみます。つまり潜在意識だけで、現実的行動を伴わないお金を儲ける方法です。
するとそれは、「瞑想法を使って何もないところに金(きん)を出現させる」のがこれに近いと思われます。(金を出現させても換金するのに現実的行動が必要です)
そうすると、「金持ちになりたい」という願望実現方法には、「瞑想などいっさいせずに現実的行動のみでお金を掴むこと」と「潜在意識(瞑想法)だけを使って現実的行動を伴わない」方法の、極端な2種類があることが分かります。
そして、「瞑想などいっさいせずに現実的行動のみでお金を掴むこと」とは、たとえば屋台のラーメン屋をすることです。
「潜在意識(瞑想法)だけを使って現実的行動を伴わない」方法とは、「瞑想法を使って何もないところに金(きん)を出現させる」ことになります。
そして最初の「宝くじを当てる方法」は、「瞑想法を使って何もないところに金(きん)を出現させる」ことに極めて近い方法になると考えられます。
これを図にすると、下のようになります。
さて、ここからは少し難しい話になりますが、注意してお聞きください。
「瞑想法を使って何もないところに金(きん)を出現させる」こととは、科学的に言うと思考エネルギーを物質に変換することだと考えられます。
思考エネルギーという言い方はおかしいのですが、イメージとしてこういう表現の方がしっくりくるのでこう言います。
さて、アインシュタインの相対性理論では、物質とエネルギーは互いに変換可能な物理的存在であるという結論があり、これを使って原子力が開発されました。
その数式が有名なE=M×C×Cであり、Cは光の速度です。
つまり物質を変換したときに出来るエネルギーは元の物質の量に比べて、ものすごく大きな量になります。
計算すると1グラムの物質を変換した時にできるエネルギー量は、9×10の13乗ジュールであります。
>この世の中から1キログラムの物質が消滅し、すべてエネルギーに変換されることで、
1.0x9.0x10000000000000000
=9京ジュールというエネルギーが生まれるんですね。
1ジュールとは0.239カロリーですから、
9京ジュールとは21510000000000000カロリー
=21510000000000キロカロリー
原油1キロが約10000キロカロリーですから
21510000000000キロカロリーとは原油2151000000キロ分、
>
という記述を発見しましたから、1グラムではこの1000分の1です。
つまり原油2151000キロ分の熱量が1グラムのエネルギー換算量です
さて、故猪股修二工学博士(日本意識工学会会長)は、E=M×C×Cを拡大して、物質とエネルギーだけでなく「情報」も互いに変換可能な物理的存在であるという仮説を組み立てました。
すると人間の意識も一種の情報の固まりであると考えられます。
人間の意識が「金よ!空中に出現せよ」と念じる思念も、物質とエネルギーに変換可能な物理的存在である「情報」だと考えられます。
つまりこの情報エネルギーが、念力によって虚空から生成される金(きん)の原料なのです。
その情報エネルギー(思念)がどのくらいなのかは分かりませんが、物質とエネルギーの関係から推測して、かなり大きな量が必要であると思われます。
そうすると、1日中瞑想して念力によって虚空から生成される金(きん)の量はそう多くは成らないと考えるのが妥当です。
その量を仮に1グラムとします。
1グラムでも、エネルギー換算で原油2151000000キロの量ですから、多すぎるかも知れません。
そして現在の相場水準で、1グラムの金は約3500円です。
つまり1日中瞑想して得られる純粋瞑想効果による報酬は、1日3500円程度だと考えられます。(最大で3500円、しかもその念力的瞑想法獲得までに10年以上は修行が必要と思われます)
これなら、コンビニでバイトしていたほうが、ましだと思えますね
。
そこで「瞑想効果で宝くじを当てること」を考えると、これは図より虚空に金を出現させる方法に極めて近いと思われます。
そうすると日当3500円で考えると、100万円の宝くじを当てるのに必要な瞑想日数は・・・・・
ちょっと自分で計算してみて下さい。
現実問題として、もし3ヵ月程度瞑想して宝くじの一等賞金を当てられるとしたら、そういう候補者が多数できることになります。
そうすると一等賞金数が不足することになり、現実と矛盾してしまいます。
これが「潜在意識(瞑想法)を使って宝くじを当てた人」を見かけない理由です。
では、マーフィーの法則などはウソでしょうか?
嘘ならなぜこれだけ多くの成功者が潜在意識の有効性を語るのでしょうか?
貧乏人をあざむくための罠なのでしょうか?
私は次のように考えます。
一つは前に書いたように、瞑想法指導者に科学的な疑問に答えようとする姿勢が乏しいことが混乱の原因であると思います。
もう一つは組み合わせが最大の潜在意識効果の鍵であると考えられます。
組み合わせとは次のような考えです。
「ランチェスターの法則」というのが、マーケティングの世界にあります。(詳しい話は検索して調べてください)
その中に戦略的思考法と戦術的思考法という2種類の方法論があり、その最も有効な資源配分方法の研究があります。
結論からいうと、
最も有効な資源配分方法=戦術的思資源×(戦略的思資源の2乗)です。
ただし 戦術的思資源+戦略的思資源=1
この数式から得られる最大値は、戦略的資源が全体の3分の2です。
そして注目すべきは、(戦術的思資源+戦略的思資源=1)ですから、戦術的・戦略的資源が1になると、もう一方は0になるという点です。
そうすると、有効な資源配分方法=戦術的思資源×(戦略的思資源の2乗)は、戦術的・戦略的資源のどちらかが0になると、答えもゼロになります。
かつての日本軍は戦術を目に見える作戦、戦略を目に見えない作戦と言いました。
潜在意識(瞑想法)も、目に見えない作戦と言い換えることができるのではないでしょうか?
そして、「屋台のラーメン屋を開業する」というのは、目に見える方法ですから、これは戦術的方法であると考えられます。
つまりこの「ランチェスターの法則」の、最も有効な資源配分方法に沿って考えるなら、「金持ちになる方法」として最も有効な人生配分比率が存在するとの結論になります。
最も有効な人生配分比率が存在するということは、一方に偏りすぎる資源配分は結果がゼロになる可能性を意味します。
これが「屋台のラーメン屋を開業する」だけでもダメ、「瞑想法だけで金(きん)を生成する」だけでの方法もダメという結論と非常に似ていると思います。
そしてこの最も有効な人生配分比率が「ランチェスターの法則」に従うなら、それは潜在意識(瞑想法)活用法が、全体の3分の2になるときだと思われます。
なぜちょっと瞑想をしただけで、宝くじが当たるかのような誤解が生じているか?
そのことについて書きます。
これから書くことは、どのような自己啓発関係の書籍や指導者も触れていないことなのです。
注意して、お読み下さい!
瞑想指導者のほとんどが科学的でないことは前に指摘しました。
さて、脳機能学者の苫米地英人氏の書籍が注目されています。
苫米地英人氏はオウム心理教の洗脳を解いたことで有名になりましたが、その脳機能学者が瞑想の方法や原理について、一連の書籍で解説をしています。
その著作の中で、「内部表現」や「ホメオスタシス仮説」を展開しています。
そして氏は、これらの仮説により脳機能の面から、瞑想法による運命転換法の原理を解説しています。
しかし私の眼からみると、これには限界があるように思えます。
それは科学者という立場から、ヤバい領域には注意深く立ち入らないようにしているという考えに基づくものであると推測されます。
たとえば氏は、一連の書籍の中で、瞑想効果の説明をするときに気功について言及をすることが多いのです。
気功とは、中国に伝わる伝統的健康法のようなもので、ある種の体操的身体運動により、「気」の働きを体得するというものです。
そしてこの科学的定義が不明確な「気」を、氏は内部表現の書き込みという原理で解説しています。
その解説を読むと、氏は「気」による健康効果あるいは外気発射による病気治療を、ホメオスタシス同調によるものであると言っています。
しかしその一方で、気による遠隔治療という、たとえば中国から日本への気功法によっての病気治療法もあり得るという見解を述べていますが、このような方法は「超能力的」であるとだけで、片づけています。
科学者という立場を考えると、これ以上の言及はできないと言うべきなのでしょう。
さて実際に気功の効果は瞑想効果に良く似ていて、その原理にも共通しているところがほとんどだと思われます。
ところで気功の効果に期待してそれを練習する人達は、最初は単なる健康法として始めるのが多いものです。
これはヨガ練習者にも共通するものです。
しかしある程度の段階を過ぎて、その効果を知るようになると、超能力的な面に期待する練習者が多くなる傾向が顕著にあります。
これは、瞑想・ヨガ・気功に共通する傾向であると思われます。
そしてこのような練習者が期待する、瞑想・ヨガ・気功に共通の効果には、3段階があるように思われます。
なぜ3段階に分かれるかというと、実際に現れるその効果が3段階になっているからだと思われるからです。
この3段階に分かれるという部分の指摘が、これまでの指導者からの指摘にはなかったのです。
その3段階を解説します。
最初の段階というのは、練習者個人が感じる効果です。
たとえば病気改善とか、もっと顕著に期待できる効果は生活の改良です。
シュルツの自律神経鍛練法のようにあがり症克服や、リラックス効果が、第1段階の効果であると言えます。
速読法もこのような第一段階の効果を狙ったものです。
この第一段階の効果は、自分内部で完結しますので、効果が確認できるという面は判りやすいのですが、練習者が獲得できる能力は限定的で、そこに不満が残ります。
さて第二段階の効果は、対人的な力の獲得です。
例えば気功法でいうと外気発射による他人の病気治しのような段階でしょう。
あるいは自己啓発系の瞑想術が喧伝するような、願望成就効果もこの段階に含まれると考えられます。
先の苫米地英人氏は、この段階の効果を「内部表現」や「ホメオスタシス仮説」等により、脳科学の分野から科学的に解説をしました。
「第二段階の効果は対人的な力の獲得である」と言いましたが、他人を意のままに操りたいという願望は人間の心の中に普遍的にあるもので、この力の獲得は魅力的なものです。
そして苫米地英人氏によれば、洗脳の研究からこれらの力の源泉は解説できるものであると言っています。
そしてこれはホメオスタシスの同調による他人の内部表現の書き換えによるテクニックであり、基本的に催眠術と同じことであり、洗脳の原理にも共通していると解説をしています。
そしてこの洗脳原理を強力に自分自身に使うことによって、自分が自動的に願望に向かって努力することが可能であると言っています。
つまり宝くじを当てる方法について解説する冒頭の部分で「貧乏人は金持ちに比べて願望に対して努力する姿勢が足りない」といいましたが、自己洗脳でこの欠点をカバーすることができるというのです。
これらは一種の超能力のように思えますが、じつは科学的裏付けがある方法なのです。
催眠術にしても、知らない人間からみると魔法か超能力のようで、なんでも出来るように思われてしまいます。
なんでもできるなら、若い女性を裸にすることも、他人を殺すことも、催眠術で簡単にできるように思えますが、実際には難しい部分があります。
そのような誤解は、催眠術の原理を知らないから起きる誤解なのです。
そして催眠術の最大の原理とは、私たちがサルから進化してきたということなのです。
つまり言葉を知らないサルたちが、その群れを統率ある社会にして、集団で危険に立ち向かうことで生き延びてきたという「サルの行動原理」に基づいています。
すなわちサルの脳には、群れを統率ある社会にするために、個人の行動がコントロールされるという性質が存在しています。
この「外部によってコントロールされるサルの脳」の性質を応用しているのが、洗脳や催眠術の原理なのです。
この原理により一見魔術的なことも、催眠術により行えることが可能になっています。
しかし一見魔術的なこの応用催眠術でも、説明できない現象が残ります。
それが気功による遠隔治療のような現象です。
これが第三段階の効果です。
じつは世の中の瞑想による自己啓発系の解説書には、これら3つの効果が混乱して解説されています。
その結果、ちょっと練習しただけで、瞑想により宝くじが簡単に当たるかのように思われてしまう原因になっているのです。
そこで純粋に超能力的な瞑想効果が存在するとして、それがなぜ第三番目の効果として現れるかを解説します。
経営コンサルタントの船井幸夫氏はその著書の中で、人間は生まれかわると言っています。
その生まれかわりの実例を数を挙げて解説をしています。
そこで、「人間は生まれかわる」つまり、輪廻転生をすると仮定すると、おかしなことに気がつきます。
そのおかしなこととは、人間が猿から進化してきたという科学的定義に相反するということです。
人間は500万年ぐらい前に、猿から進化してきたと生物学では言われていますが、いったいどの段階で人間は輪廻転生をするようになったのでしょうか?
私の考えを言いますと、猿になるずっと前の段階から人間(になる魂)は、生き物に憑依して生まれかわりをしながら、魂の進化を続けてきたと考えています。
そういう考え方に基づくと、瞑想効果の深化に合わせて3段階の効果が現れるということが説明できると思うからです。
つまり瞑想効果の第三段階の超能力的効果は、第二段階の猿の本能を通して現れると思われるからです。
苫米地氏の解説する「内部表現」のコントロールの極致として、瞑想効果の第三段階の超能力的効果が表出すると、私は考えています。
さて中国の古書を読むと、万物は「気」により成り立っていると解説されています。
「気」とはいったいなにを指しているのでしょうか?
気功法をするとその行法のすべては、神経を鍛える方法になっていることに気がつきます。
もし私たちには魂があってそれが輪廻転生することでこの人生を生きていることになっているとすると、私たちの本体は「魂」というあの世の存在が、「猿から進化した肉体」に憑依して存在しているということになります。
ところがあの世の存在である「魂」は、この世の存在である物質をどうこうする力を持っていません。
「猿から進化した肉体」も当然、この世の存在である物質で出来ていますから、そこには、あの世の存在である「魂」と情報をやり取りする「仕組み」が存在していると考えられます。
その仕組みとは、人体に存在する神経系ではないでしょうか?
なにより「脳」も神経の固まりです。
脳の中には神経系により構成された、不安定な繋がりであるシナプスがあって、このような確率的に不安定な部分に、あの世の存在からの情報をやり取りする「仕組み」のからくりがあると思われます。
そしてこの世の神経系を伝達するこの世的存在は、電気信号が担っています。
するとあの世の神経系を伝達するあの世的存在こそが、「気」であるとという結論に到達します。
つまり人体の神経系は、この世の部分とあの世の部分に股がって存在をしていると考えられます。
私たちが輪廻転生をすると考えるなら、こういう結論にならざるを得ません。
そして人体の神経系は、この世の部分とあの世の部分に股がって存在をしていると考えるなら、「気」のようにあの世で情報を伝達している存在が考えられます。
そう考えると、気功のように人体の神経系を鍛える方法というのは、「気」をコントロールするテクニックとしてまことに適していると言わざるを得ません。
さてこのように仮説を積み重ねて、「気」の存在を考えてきましたが、それでは「気」が存在するとしてその働きとはなにかということを考えてみます。
「気」が凝縮すると物質になると古代中国では考えられてきましたが、アインシュタインの説に従うと、それには膨大な「気」が必要であると思われます。
ところで、超能力には普通二種類あります。
ひとつはPK・念力であり、もうひとつは精神感応(テレパシー)です。
そして念力のように物質に直接作用する(エネルギー系)の超能力の方が、精神感応(テレパシー)系よりも難しいと思われます。
超能力には物質に直接作用する(エネルギー系)の超能力と、精神感応(テレパシー)系の情報系の能力がありますが、じつは私はもう一つの系統の能力があると考えています。
それは「確率に作用する能力」です。
これを使うと、例えば思うようなサイコロの目をだすことが出来るようになります。
このような「確率に作用する能力」こそが、現代人が切望するような「金運を手に入れる」能力ではないかと考えています。
つまり「気」をコントロールすることで、このような「確率に作用する能力」が手に入れられると、古代の中国人は考えていたと思われます。
そしてその能力の獲得には、「気」をコントロールするテクニックを通して可能になると思われます。
そのためには、人体の神経系を鍛える方法が適していると思われます。
なぜなら、人体の神経系だけが、この世の部分とあの世の部分に股がって存在をしていると考えられるからです。
現在の科学では、このような仕組みは説明できません。
説明できないというより、説明してはいけないという暗黙の了解があります。
なぜなら、現代科学は「魂」の存在を認めていないからです。
そこで「魂」の存在を認める「科学的議論」をすると、それは直ちに宗教の分野になってしまうことになります。
これが現代科学の問題点です。
しかしこの議論は、人間の肉体と精神の構造という、自分たちの最も基本的なことなのです。
科学が宗教の分野だからということで、「魂」の存在可能性の議論さえも認めないという姿勢は看過しがたいことだと思います。
これはつまり例えて言うと、ラジコンのようなものです。
もし蒸気機関が実用化された19世紀初頭の時期に、現代の玩具であるガソリン(混合燃料)エンジンを積んだラジコン自動車を見せられた技術者が、その技術をどの様にみる
かということに近いと思われます。
19世紀の技術でも蒸気機関の技術の延長として、ガソリンエンジンの技術を理解できると思います。
しかし電気が本格的に実用化されていないその時期には、操縦者と機械とが目に見えない電波によって繋がっているということが、誰にも理解出来ないと思われます。
魂や「気」と科学の関係も、これと同じです。
現在の科学も「魂」の存在を認めないという立場を取るかぎり、これと同じような状況に陥っています。
そのために科学は「気」の存在を認めることができません。
「気」を認めると、その延長としてどうしても「魂」の存在に言及しなければならなくなるからです。
そして「気」を認めない状態で、科学的議論を深めていくと、未来は確率論でしか語れないということになってしまうのです。
これが現代科学の限界になってしまっています。
現在、人体というのは、顕在意識と潜在意識によってコントロールされていると考えられています。
そして顕在意識よりも潜在意識の方が、じつはコントロールされる部分ははるかに大きいと考えられています。
そのため、瞑想などを通じて、潜在意識をコントロールしようとする発想が、今の自己啓発ブームの基本的考えになっています。
しかし潜在意識の最も深い部分は、じつは猿の本能のようなダークサイドにも通じていることが研究の結果、分かりはじめました。
そのような猿の本能は、社会性を持つ猿社会の特徴から、他人をコントロールできる可能性が見えてきたのです。
それが苫米地氏の言うような、認知科学による内部表現の書き込みテクニックなのです。
しかし、その猿の本能のもっと深い部分を探っていくと、瞑想技術は「気」によるコントロールという技術に行き着くことがわかりはじめました。
そして瞑想技術の「気」によるコントロールというテクニックに習熟すると、未来を変えることができる可能性に行き着いたのです。
これはまさに「超能力」的技術であると、言えるでしょう。
そして「気」によるコントロールを使うと、現代科学では不可能とされている「確率」の中身に関与できる可能性が見えてくるのです。
「確率」の中身を変えるということは、未来を変えるということなのです。
これがつまり、瞑想効果による「運」を変えるテクニックの原理になっています。
さて、ここからは「運」を変えるという話を進めていきます。
もし本当に運を変えることが出来たとしたら、どういうふうにそれは変わるかということを説明します。
上に説明したように、運を変えるといっても、占いや超能力的に変えるという話という以前に、その人の持つ「性格」によって未来選択の幅を狭くしていることがよくあるのです。
つまり将来私は「松山ケンイチ」のような男性と結婚すると、固く思い込んでいる女性がいるとすると、このような女性はなかなか結婚できないだろうということが予想できます。
このような女性が、占いや超能力的なものに頼って、「松山ケンイチ」のような男性と結婚する未来を引き寄せようと努力することがよくあると思われます。
しかしこのような場合、ちょっと視点を変える、つまり「松山ケンイチ」のような男性というこだわりを捨てるだけで、明るい未来がすぐそこに開けていることに気がつくというのはよくある話です。
じつは「宝くじに当たる未来」を夢見ることも、「松山ケンイチ」のような男性というこだわりとほとんど同じだと気がつきます。
このようなこだわりの部分を捨てるのは、瞑想効果の初期の段階で解決ができると思われます。
つまりこれは人間の潜在意識の部分に働きかけることで、解決ができる問題なのです。
これに関して面白い寓話があります。
それは「セレンディピィティ」という話なのですが、昔インドにセレンデップという国があって、そこに4人の王子がいました。
セレンデップには竜が時々現れて、国民を苦しめていました。
そこで4人の王子は、竜を退治する方法を求めて、東西南北の方角に旅に出掛けました。
数年後、それぞれの方角から戻ってきた4人の王子は美しい花嫁を連れて帰ってきました。
めでたし・めでたし、というお話です。
!!「おい、おい、竜はどうなった!」というツッコミが入りそうですが、これが「セレンディピィティ」という言葉の意味なのです。
つまり当初の目的を離れたものを得るが、それで幸せになるというような意味が、「セレンディピィティ」です。
つまり、「松山ケンイチ」のような男性というこだわりを捨てるだけで、明るい未来がすぐそこに開けていることに気がつく、というのはまさに「セレンディピィティ」なのです。
このような運を開く方法は古来から「悟りを開く」などという言葉で形容されていますが、この段階は潜在意識に働きかけることで、深層心理を改善する効果によって生まれます。
次に猿の本能を使うことで、他人に働きかけることを考えます。
人間は、猿から進化しました。
西アフリカにいた人類の祖先である猿が、大地の乾燥化による森林消滅にあったことが人類進化の原因だとされています。
森林を失った猿たちは地上におりることを迫られ、結局二本脚で歩く能力を獲得したと言われています。
さて森林(ジャングル)で暮らす猿たちにとって、一番危険な動物は大型の肉食獣だと思われます。
つまり大蛇とか、豹です。
そこで猿の脳は、それらの動物をすばやく見分けられるように進化したと考えられます。
つまり、自分が見ている映像の中で、蛇や豹の体表の模様を素早く、分離・注目するような、画像加工能力を脳内に確保したのです。
これが出来なかった猿の群れは、そうでない群れより数を減らし、絶滅したと考えられるからです。
この能力は、どんどん進化していきました。
なぜならこの能力は、脳の進化であり、その後人類に進化した猿というのは、脳を進化させることで、人間になったからです。
ここで、想像してみて下さい!
あなたの脳の中に3メートル四方の小さい部屋があり、あなたはその部屋の中の椅子に座っています。
その部屋の前面は、大きなビデオスクリーンになっていて、眼球から送られてくる外部の映像を見ています。
つまりこれはあなたの「意識」があなたの脳の中で、あなたの肉体をコントロールしているイメージなのです。
そこで、あなたは目が捕らえた外部の映像は、そのまま目の前のビデオスクリーンに映し出されていると思っています。
そうでしょう?
ところが本当は、その眼球のビデオカメラとビデオスクリーンの間には、パソコンがあって、あなたの見ている画像を加工しているのです。
なぜなら、私たちは猿から進化してきたからです。
猿の脳は、豹や蛇の模様を強調して「意識」に送るように、画像を加工するコンピュターを頭の中に持つように、進化してきたからです。
女性がインパクトのある恰好をしたいとき、豹や蛇の模様のある服や下着を着けるのは、この効果がいまだに人類の男に残っているからです。
もしあれが虎のパンツだったら、男性はそれをはいている女性に強い印象を持つでしょうか?
豹柄には、わけがあったのです。
豹柄だったら、あれほどコケテシュだったか?
また錯覚という心理現象がありますが、あれも眼から取り入れた画像を、脳内のパソコンが加工してしまうために起きる現象です。
ツェルナー錯視
平行な水平線が、短い斜線の成す角の鋭角過大視により、傾いて見える。
これは脳内パソコンがつくるコンピューターグラフィックと言うべきものですが、人類はこの機能を猿の時代より大幅に強化してきました。
つまりコンピューターグラフィックにより、仮想現実を作るまでに進化させてきたのです。
人間が小説を読んで、涙を流したり怒ったりするまでに感情移入できるのは、この機能が発達したためです。
これは脳内仮想現実機能とか脳内コンピューターグラフィックという表現が、ぴったりすると思います。
しかし、認知心理学では「内部表現」と呼ばれています。
おそらく、この分かりにくい言葉は、インターナル・リプリゼンティションという英語を直訳したためと思われます。
長々と脳内仮想現実について説明しました。
願望実現のため瞑想するのは、この脳内仮想現実を作りだしているコンピューターにアクセスするためなのです。
瞑想状態に入ると気持ちは落ち着き、意識が澄んでくるような状態になります。
本当は逆です。
気持ちは落ち着き、意識が澄んでくるような状態ときだけ、脳内仮想現実にアクセスできるようになるのです。
ですから、瞑想状態とは肉体の興奮を静めて、肉体の五感からの情報をできるだけ少なくすることなのです。
これが脳波がα波になることの、意味です。
人間の意識が外界を感じている状態を図に表すと、下のようになります。
人間は、猿から進化した存在であるため、外部情報を脳内で加工する仕組みを持ったと言いました(本当はこの仕組みは他の動物にもあると思われます)。
この仕組みを見ますと、意識はその外部からの情報が、本当の外部情報か脳内で加工されたものかを、見分けることができません。
これは、幻覚・錯覚といったものです。
私には一度、そんな幻覚を見た経験があります。
ある工場でアルバイトをしていたとは、5メートルほど向こうになにか、黒くて長いものが這っているのが見えたのです。
長さが30センチぐらい、幅4センチぐらいの生き物でした。
その動くスピードと形から、「ムカデ?」と思いました。
そう思った途端、本当にその生物が巨大なムカデに見えたのです。
日本にそんな大きなムカデがいるはずもありません。
私は、ぞっとじました。
しかし、良く見るとそれは小さなねずみが前のねずみのしっぽをくわえて、ぞろぞろと歩いている姿だったのです。
これには、とても驚きました。
暗示の効果というものを、思い知らされた経験でした。
私が「ムカデだ!」と思うと、本当にそれがムカデに見えるのです。
脳内パソコンがそのように映像を加工してしまうということを経験した、思い出です。
このように、脳内パソコンが脳内仮想現実を造りだすと、脳の意識はそれを現実であると勘違いしてしまいます。
この現象を利用して、深い瞑想下で脳内仮想現実をイメージで造りだすと、脳はそれを現実であるか、イメージであるかを判断できず、現実だと思い込んでしまうのです。
すると無意識(イコール右脳)はそのイメージを実現すべく全力で働きだします。
この原理はホメオスタシス(恒常性)に基づくものです。
ホメオスタシス(恒常性)は、通常肉体の安定性のためのフィードバック機能と考えられています。
しかし、人間の場合、この脳内仮想現実を造る脳内パソコンが高度に発達しています。
そのため、社会生活や肉体機能(病気回復等)にまで、イメージされた状況に現実を持っていこうと働いてしまうのです。
これが願望実現の、メカニズムなのです。
例えば、子供のとき自転車に乗れた人は、長年自転車に乗っていなくても、大人になって自転車に乗ると、すぐに乗れることができます。
これは記憶の中に「自転車に乗れる私」というイメージがあるためだと考えられます。
「自転車に乗れる私」というイメージに、ホメオスタシス機能が働いて、記憶の中からその運動神経回路を引っ張りだしてくるからです。
「自転車に乗れる私」というイメージにホメオスタシス機能が働いて、現実をそのように合わせようとするからなのです。
もちろんそれは、無意識的に行われています。
もしここに「大金持ちになった自分」というイメージが強力にあったとき、ホメオスタシス機能が働くと、現実を「大金持ちになった自分」に合わせようとします。
なぜならそれが、ホメオスタシスの働きだからです。
昨日すでに大金持ちになったイメージがあって、今日もまた大金持ちだという自己イメージを持つならば、ホメオスタシス機能は、それを自転車に載れる自己イメージのように実現しようとします。
しかし記憶の中には、大金持ちになる方法はありません。
現実には、大金持ちになった経験がないからです。
しかし無意識はそれを、無理にでも現実化しようと試みます。
記憶の中にその方法論がないのなら、自分のあらゆる知識・経験をフル動員してその方法を作り出すのです。
しかもそれが無意識的に働くということは、1秒を6日間に使える右脳の能力がフル回転して、あなたを大金持ちにしようとしてくれるのです。
しかし、その力は手段を問いませんから、私が経験したような不幸な事態が起きる可能性もあります。
「なるほど、無意識の力はわかった!しかし、それだけで大金持ちになれたら、苦労はしないよ!」
確かに、これだけの説明で金持ちになれるとは、思いませんね。
話は変わりますが、私は中学生の時、日本史が得意でした。
日本史の中で、不思議だったのは、豊臣秀吉が天下を取ったことでした。
秀吉は猿と呼ばれるぐらい、小柄で非力な男でしたが、下克上の時代に屈強な部下がこの大将の首を取ろうと思えば、簡単にできたはずです。
なぜ、そうしなかったのでしょう。
この答えは、またしても猿の社会にありました。
人間は高度なチームワークを駆使してマンモスにも勝利するほどの、史上最強の肉食獣となりました。
このチームワークの源は、猿の社会にあります。
猿の社会は、ボス猿を頂点として階級が厳密に決まっています。
そしてこの階級の決定は、一度決まると、次の変更まで変わることがありません。
当たり前の話のようですが、注意してお聞きください。
猿たちは「自分のポジション」を記憶していないと、これは出来ないのです。
つまりそれぞれの猿の脳の中に、社会の構造と自分のポジションという地図が存在することになります。
そして、自分より上位の猿が来たとき、自分がその命令に従うプログラムが自動的に発動するメカニズムが群れの中にあるのです。
そうでないと、猿のメンバーどうしが会ったとき、その都度自分たちのどちらが上位が決定しなければなりません。
つまり会うたびにケンカしなければならないのです。
そういう群れの構造では、危機に教われたときや狩りのとき、素早い情報伝達ができません。
自分の群れのなかのポジションが、無意識に瞬時に分かる機能がどうしても必要なのです。
猿は人間のように明確な言語を持ちませんから、この情報伝達は非言語的な形式で行われています。
その多くはボディランゲージですが、匂いのようなホルモンが介在するものもあると考えられます。
くどいですが、人間も猿から進化してきた以上、このような情報伝達手段を持っているのです。
人間の言葉による会話も、その意味の80%以上は、非言語的なものだと言われているのがその証拠です。
つまり、人間でもボス猿だと群れのなかで認められると、その人間はボス猿的ボディランゲージやボス猿的フェロモンを発生できるのです。
そうすると、周囲の猿(人間も)そのメンバー内では服従してしまうのです。
それも、無意識的にです。
これは本能的なものですから、この仕組みに逆らうことは容易ではありません。
あなたが男性であれば、若い女性が裸でいると思わず見てしまう願望に逆らうような状況を想像すると、この本能に逆らうことがどれほど強い意思が必要か、お分かりだとおも
います。
つまり、これが豊臣秀吉が下克上の時代にあっても、殺されなかった原因なのです。
ですから、あなたが無意識下で「自分はすでに大金持ちになってしまった」イメージを強く持つならば、そのボディランゲージやフェロモンは、強力に周囲に発散されます。
なぜなら現在の日本では大金持ちは、ボス猿に匹敵するステイタスだからです。
そのボディランゲージやフェロモンにであった、あなたの周囲の人間は、あなたをそのイメージに合わせるよう努力しはじめるのです。
なぜなら彼らの中のホメオスタシス機能が、そうしないと気持ち悪いからです。
こうして、無意識下ですでに成功者となっているイメージのあなたは、自動的にそのイメージを実現できるように動き始めてしまいます。
それはあなたの無意識も、あなたの周囲の人の無意識もです。
周囲の人間を巻き込んでしまうぐらいですから、肉体の不調を直すことの方が簡単に出来ると思われます。
ガンの治療法として有名な「サイモントン療法」は、まさにこのイメージを使う方法です。
最初、脳内仮想現実は猿の危険を察知するために発達したと言いました。
猿が危険を察知したとき、素早く逃げる体制になるために血圧を上昇させたりする必要があります。
つまり、アドレナリンなどのホルモン系に作用する神経にも、この仮想現実機能は働きかけることが可能と考えられるのです。
つまり生体の免疫系や、組織の再生にも作用できる原因だと思われます。
これが、自己啓発による願望実現のメカニズムです。
じつはもう一つの、願望実現のメカニズムが存在します。
それは変成意識状態です。
脳の意識が現実だと判断している世界には、二つのものがあると言いました。
ひとつは現実世界からの情報であり、もうひとつは内部表現と呼ばれる脳内仮想現実です。
この内部表現を操作する部分が働いている状態が、変成意識状態と呼ばれています。
ふつう、催眠術にかかった状態や深い瞑想状態にある時、変成意識状態にあると呼ばれています。
これはじつは不十分な説明です。
脳の状態から考えると、内部表現を操作する部分が意識に仮想現実的イメージを送り込んでいる状態は、すべて変成意識状態なのです。
つまり通常意識でも、なんらかの内部表現の書き込みは行われているので、人間の意識状態はすべて変成意識状態と呼ぶべきものなのです。
一般には内部表現が、現実世界の感覚を上回った状態を、変成意識状態と呼んでいますが、これは少し間違った表現です。
通常呼ばれる変成意識状態は、本来トランス状態と呼ぶべきでしょう。
とにかく、内部表現が、現実世界の感覚を上回った状態の変成意識状態を自分で造りだして、その内部表現を操作できるテクニックを持った人間は驚くべき影響を周囲に与えることができます。
つまり、これがカリスマの原因となります。
先に内部表現を行う脳内部分をパソコンと表現しましたが、じつにこの機能はパソコンに似ています。
なんとこのパソコンはインターネット接続のように、周囲の人間の内部表現パソコンにアクセスすることが可能なのです。
すなわち、自分の内部表現を操作できるテクニックを持った人間は、周囲の人間を知らず知らずの内に、変成意識状態に導くことが出来るようになります。
そして自分で作りだした変成意識状態の世界イメージを、周囲の人間の脳内パソコンにデータとして送り込むことが可能です。
もちろんこれらは、無意識下で行われます。
「あの人はなんか雰囲気があるね!」とか「芸能人のオーラがある!」と、言われる人達は、自分の内部表現世界に、他人の変成意識を引っ張りこむことが自然にできるようになった能力を持つ人物なのです。
脳内パソコンのハッキングであり、インターネットのWinnyのようなことができるようになるのです。
これが、カリスマホストや、天才的詐欺師が存在できる理由です。
私は有名マジシャンも、じつはこのような性質を備えていると考えています。
たんにマジックだけのテクニックではなしに、心理的にマジシャンの術中にはめる技を持ったものが、プロのマジシャンとなれるのではないでしょうか?
おそらく、これも生物学的な理由によるものと考えられます。
群れのなかで、リーダーの命令に服従するだけでは不十分で、リーダーの考えることが手に取るように分かるように進化した群れだけが生き延びたせいでしょう。
これが、カール・C・ユングが提唱した、集合的無意識の認知科学的説明であり、テレパシーの存在理由です。
つまり強い変成意識を生成できる人物は、周囲の人間を知らず知らずのうちに催眠術にかける術を持つと考えて下さい。
催眠術にかけられた人は、その送り込まれたイメージを実現するべく努力し始めます。
なぜなら、ここにホメオスタシス原理が働くからです。
自己イメージを実現するように働くのがホメオスタシスですが、その自己イメージが他人に操作されてしまうのです。
そういう操作をされた女性は、必ず操作された男の意のままになってしまいます。
こういう人物は、世の中に結構います。
先のカリスマホストや、天才的詐欺師がそういう代表ですが、トップセールスマンや有名政治家や占い師にも、そういう人がいると思われます。
そういうことで、瞑想行を行って自分の内部表現に強くイメージを書き込んだ人は、その影響を周囲に及ぼすのです。
本人の持つ自己イメージに、周囲の人間が引きずり込まれていくのです。
それは無意識下で行われます。
ということは、右脳の持つ1秒を6日に使える驚異の能力で、そのイメージを実現しようとすることなのです。
これが本当に強力な力を持つことが、このことからお分かりになると思います。
それを行ったのが、古今の宗教家です。
例えばオウム心理教の教祖です。
あの髭面のさえないおっさんが、女性信者にはとてもハンサムに見えると聞いたことがあります。
あるいは短期間にあのような異常な組織を作りだしたことは、通常の精神状態にある我々からみると、不可解なことに思われます。
また最近では、50歳すぎの占い師の男性が、若い女性を何人も同居させて、ハーレム状態を作ったという事件がありました。
その裏には、強力な変成意識による他人の心理の操作という、人間脳機能に基くメカニズムが働いたからなのです。
また、弘法大師・空海にも、同じような説話が残っています。
天皇に謁見を許された、一介の地方出身僧である空海はその法力を使って、全身が金色に輝く仏の姿になったというエピソードがあります。
これも密教の力で、自身の強烈な内部イメージを周囲の人間に見せたとするなら、たんに伝説的な超人の話ではないということが理解できると思います。
すなわち、自分の内部表現を強力に操作できる人間こそが、カリスマとなりうるのです。
自分が金持ちに成ったイメージを強く持つことができるならば、周囲の人間がそういうイメージを現実化しようと努力してくれるという、驚くべき原理が存在します。
それらは右脳の機能を使うから、強力なのです。
これはイメージの問題ですから、自身が空を飛んでいるとか、姿が消えるとかのイメージを送り込むことができるならば、そのような状態を相手に見せることもできます。
つまり、現代の認知科学では、超能力者の存在が可能だと言えるのです。
本当の超能力から言うと、かなりインチキくさいですが・・・
さて「気」は未来に働きかける力があることを指摘しました。
つまり現代科学では、未来は確率的にしか決定しないことになっています。
イメージで言うと、現代科学での未来は台風の進路図のような遠い未来になるに連れて、広がりが大きくなっているそういう確率の幅で表されるものです。
しかし、ここでは瞑想術などで運が開けるかということに絞って解説をしています。
そうすると現代人の願望の多くは、「金運」と「異性運」に収斂すると思われますから、事情が違ってくると思われます。
つまり上の台風の進路図のような確率の幅というのは、多くの場合無生物に適応されるものだと考えられるからです。
人間の運の場合、特に「金運」と「異性運」に限って言うと、それは「人との出会い」に左右されることが多いものです。
すると未来における人間の運はこの場合、人との出会いの節目・節目で未来が決定されているというイメージの方が正確かと考えることができます。
ところで占いを少しかじると、占いのほとんどは占星術に収斂していくことが分かります。
例えば四柱推命という占いは、生まれた時の年月日時から、計算によって求めていくもので、この年月日時を四柱と呼んでいます。
じつは生まれた時の年月日時から計算によって求めていくものとは、その時間における天体の位置であって、これはつまり占星術なのです。
もしこのように古来から伝わる占星術が良く当たるものだとすると、人間の運命の多くは決まっていることになります。
占い師や未来を見通すことのできる術者などは、そういうふうに「人間の運命のは決まっている」と言います。
そして貧乏人がお金持ちなどと比較して自分の人生を振り返り見る時、このような実感を感じることがよくあるものです。
そういう感じをイメージにすると、先の図はあまり正確ではないような感想を持つものだと思われます。
そのような例えば、貧乏人が自分の人生を振り返り見る時、どのような実感のイメージを持つかというと、次のようなものになると思われます。
つまり1本の大きな道があって、人との出会いによって人生を変えることができる枝点などは、気づきにくいようになっているのではないでしょうか?
その気づきにくい別れ道に偶然気がついて、その道を辿ることで運が開けた人を見ると、その人は運が良かったと感じる、これが普通人の人生に対するイメージなのです。
このイメージに関する限り、「人間の運命のは決まっている」という指摘は、当たっていると感じられてしまいます。
そうすると、普通の人には見つけにくい、「人との出会いによって人生を変えることができる枝点」を見つけることで、人生を変えることが可能になるということがわかります。
つまりこれが、運命を変える方法として、一番納得のいく方法であると私は思います。
それは例えば、こういうことを考えると分かると思います。
ある大学生がいて、ある日友達が○日に知り合いの引っ越しがあるので、手伝ってくれという依頼があったとします。
ところがその○日の前日の夜、合コンがあってついつい深酒をしてまいます。
その結果、引っ越しの待ち合わせの時間に遅れてしまい、引っ越しの手伝いが出来ないということになります。
普通の大学生なら、ありそうなことだと思います。
ところが、この引っ越しをするという友達の知り合いには、妹がいたとしたらどうでしょう?
その妹さんは、この大学生の好みのタイプで、会った途端に二人は恋に落ちるような関係であったとしたらどうでしょう?
つまりこの大学生は、前日の夜合コンに行ったために、そのような運命の出会いの実現が出来なかったことになります。
実際、私たちの幸運・不運はこのような何気ない出会いによって決定されていたというのが、後になって分かるとことが多いものです。
もし、この大学生がこのような出会いがあることが事前に分かっていたなら、合コンに行くのを止めるか、早く帰ってきたりするでしょう。
この「事前に分かる」ことが、「気」をコントロールすることで、可能になるとしたら!
そのような場合、なにか心にピーンと来るものがある、そういう瞬間こそがまさに運命を転換する別れ道になっているのです。
こういうなにか心にピーンと来るものがって、その直感に従うことができるかどうかで、運命を切り開いていけるかどうかが決まります。
それが「気」による神経系の鍛練で可能になるとされています。
ただし、その「心にピーンと来る」というのは、じつは図にあるように落とし穴の分かれ道もあってむしろその方が多いのです。
なぜなら幸運を求める欲望が、本当に「心にピーンと来る」ものかどうか心が判断するのを曇らせてしまうからです。
なぜ「心が判断するのを曇らせてしまうか」というと、そこに猿の本能が働いているからです。
この猿の本能に関することは、どのような霊能力者も語っていません。
人間の本質である魂からのメッセージは、猿の本能と神経系を通してこの世界に現れる三重構造を知らないからです。
猿の本能の自己保存のために働く欲望が、正しい判断を阻んでしまうのです。
ですから、そういうことを的確に判断できるようにするために、正しい瞑想術などを使って、やって来た「幸運の気」が正しいものかどうか見分ける技術が必要になってきます。
結論
人間の瞑想効果は三段階に分かれています。
本当の幸運を手に入れるためには、この三段階すべてにわたっての効果を獲得する、必要があると考えられます。
まず潜在意識に入るテクニックを使って、深層意識の中の「勇気ある人間」になることを阻害している要因を取り除くことが必要です。
これは簡単に実行できます。
次に「気」による神経系の鍛練で可能になる、幸運の分かれ道が来たときに、「心にピーンと来る」ようになることを目指します。
そしてその中間の猿の本能と神経系をコントロールできるような訓練をします。
この技術に習熟すると、催眠術的効果によって他人の行動に介入できるようになると考えられます。
このような三段階の効果を得ることができれば、幸運な人間に生まれ変わることができ
ると言えるでしょう。
金運瞑想法の詳しい解説
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